学生時代は何に取り組んでいましたか?母校の高校でバドミントン部の大学生コーチをしていました。また、学業や塾講師、長期インターンの話をガクチカで伝えていました。今までの挫折経験は何ですか?高校時代の部活動で、全然活躍できなくて、1年半生き地獄だった経験です。練習時間を誰よりも増やして、4時半起きを365日続けました。顧問が恩師だったので、コミュニケーションをとりながら、壁打ちして二人三脚でやり抜きました。我究館に入ったきっかけは何でしたか?絶対内定の藤本さんの笑顔に魅かれたことです。笑一回説明会で話して、すごく良くて、ここで頑張りたいなと思いました。就職活動の軸は何ですか?その軸をもとにどんな企業を受けていましたか?本音では人でした。入りたい会社に何十人と話しを聞き、質問し、とことんやって頑張りたいと思える企業を選びました。社会人訪問の数は全部合わせると300人は超えてます。もう一つは、全国転勤じゃないところです。両親や将来の家庭も踏まえた軸です。建前の軸は、個別に企業ごとに作ってました。我究館に入ってどう変わりましたか?社会人と話すトーク力は確実に磨かれたと感じます。我究館のイベントは常に出ていて、銀行の支店長さんなどにも話を聞かせてもらえたりして、トーク力は磨かれました。最初、社会人って怖いイメージでしたが、全然そうではなかったです。それがあったから最終的に300名以上社会人訪問することができました。内定が出た瞬間どんなお気持ちでしたか?本当に、盛ってるわけじゃなくて、「あ、そうですか」という感じでした。笑面接は受かってるだろうと思ってたので以外と冷静でした。また、初めての内定にほっとしました。我究館に入館してよかったと思うことはどんなことですか?1つは仲間に恵まれたことです。24卒~26卒のなかで、25卒の世代の方には特にお世話になりました。もう1つは自由にストップかけずに様々なことを挑戦させてもらえることです。企画ややりたいことをストップかけずにやらせてもらえる環境はよかったです。我究館のコーチはどんな人でしたか?我究館のコーチは成長の起爆剤でした。厳しい人、包み込んでくれる人、ちょうど中間くらいの人もいて、一概には言えないが、それぞれ個性や強みがありました。我究館の仲間はどんな存在でしたか?一生涯の仲間です。就活が終わったら離れてしまう存在ではなく、就活後も一生涯語り合える仲間でした。他の就活塾にはない我究館の強みはどういった部分だと思いますか?交流の広さ、ネットワークの広さがあり、自分がつながろうと思ったらいくらでもつながり続けられるところです。総合商社の部長から若手社員、内定者など、いろんな人とつながることができました。学生同士はもちろん、様々な人と繋がることで情報を得て、孤独を感じず就活することができました。BHG(Being/Having/Giving)について教えてくださいBeing(なりたい姿)自分に自信を持ち続けたいHaving(得たいもの)ブランド。他人からすごいと言われたい、そして趣味ややりたいことができる生活Giving(与えたい影響)世界における日本のプレゼンスを高めたい、日本経済を強くしたい将来の夢は何ですか?会社の看板で生きずに、自分で社会に還元できるような人になりたいです。これから就職活動をする学生へメッセージをお願いします。挑戦を恐れないでほしい、周囲の目を気にしないでほしいです。自分自身は千葉大学から日本銀行って10年に1人くらい、商社やデべを受けるって言うとみんなに笑われるけど、最終までいったし、挑戦してみないと何も始まらないので、挑戦しないのはもったいないです。また、周りの目を気にしている人は多いのではないかと思います。集団塾の講師をしていてもすごい感じます。就活でも、学歴を考えて無理だと思っている、諦めている人はいっぱいいます。その原因はやはり周りの目を気にしてる、自分の成長にフォーカスできていないと感じます。諦めるのではなく、どうしたら受かるのか、何を行動したらいいのかを突き詰めて考えて動いてほしいと思います。