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    Kさん(国士舘大学体育学部卒業)  人材サービス会社内定

なぜ私が第一志望に内定できたか  ~“人”と“失敗”から得た“気づき”と“反省”~
Aさん(慶應義塾大学) 大手広告代理店 トップ内定

将来何がしたいのかなんて、考えた事がなかった。このままじゃまずい、というより、自分と向き合ってみたいという思いで、我究館の門を叩いた。

我究以前に、社会についても、仕事についても分からないことだらけだったため、10月頃からは毎日のようにOB 訪問、最終的には、4月までの約半年間でOB訪問120人、5つのインターンシップにも参加した。興味や疑問をもったことに妥協しない力は、館に入って身に付いたモノだ。

「自分らしく、相手が知りたいことを伝える」
これが私にとって、就職活動における1番の困難であったのだが、4月の面接本番を迎えるまでずっと、この事実から目をそらし続けていた。

3月頃までは、我究さえもおろそかにしていた。「うまく伝えたい、よく見せたい。」そんな想いが先行し、模擬面接ではまるでロボット。OB訪問でも話を聞く事で満足し、自分を伝える練習などしていなかった。面接本番が始まってもうまく行かず、商社では負け続けた。「このままじゃまずい。」本番で負けて、初めて火がついた。

1週間でノート3冊、すべて我究のために埋め尽くした。それまでネットワークを作ってきたOBに片っ端から連絡し、我究の結果を自分らしく伝える練習を繰り返した。その後は自分らしい伝え方ができるようになり、面接も全勝した。

今後は、僕が"気づき"を与える側の人間になりたい。これは就職活動の軸なのだが、今までの人生、沢山の人に出会い、いろんな事に気づかせてもらって成長してきた。今度は自分が周りに、人に、社会に気づきを与えていける人間になるべく、さらに我究と行動に磨きをかける。

最後に。

相手が知らないことに気づかせ、自分が知らないことに気づく。
それがコミュニケーションだと思う。その意味で面接はどんどんわかっていくことが楽しくて仕方なかった、だから終わりたくなかったし、実は今でも面接やOB訪問は続けている。
最後の年は沢山遊ぶべきだと言うけど、ぼくはもう充分遊んできた。だから最後の年は友人と思い出を残しつつ、色んな社会と、色んな世界を見て回りたい。
それがいつかきっと気づきの種になると思うから。

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私の人生を180度変えてくれた、我究館で過ごした日々!!
Yさん(日本大学) 大手総合電機メーカー 内定

我究館のとの出会いは二年前に遡る。2009年夏、姉妹校であるプレゼンスに通学していた際、創始者である杉村さんにお会いし、「我究館の説明会に参加しなよ」と言われた。その後参加した、説明会での一つのメッセージが今でも心に残っている。「内定がゴールではない、ゴールは就職先で何を達成するかだ」。あれから、二年経過した2012年夏、留学から帰国した自分は就職活動の事を真剣に考え始め、当時の杉村さんのメッセージを思いだした。その後、「納得のいく就職活動にしたい」という思いで、入館を決意しました。

入館後は、TOEICのクラスと同時並行に通常の講義を受講していましたが、担当コーチの厳しい指導や指摘に 正直辛さを感じ、投げ出したい気持ちもあった。でも、そんな自分の課題をしっかり追及していくTOEICでの授業、自分のキャリア形成について真剣に考える日々の講義を通して、しっかりと「自分の課題」に向き合えたと確信している。その後は更に、自己PRやESの添削、コーチとの面談やクラスの仲間との語り合いを頻繁に行い、自分自身のモチベーションを維持すると共に、心の底から「就職活動が楽しい」と感じるようになった。

結果、有名大学に所属していない自分が第一志望であった大手総合電機メーカーから内定をいただき、将来的には海外営業に携わり、世界を相手に戦っていく一員になりたいと強く考えている。 しかし、我究館に入館して最も良かったと感じる点は、コーチや仲間との掛け替えのない繋がりだ。今は、支えてくれた人に「ありがとう」の気持ちでいっぱいであると共に、これから入館してくる我究館生には一言だけ言いたい。「今しかない!!」

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これから就活を始める皆さんへ
Uさん(慶應義塾大学大学院) 戦略コンサルティング会社 トップ内定

輝いてください。僕が言えるのはこれだけです。
そうすれば内定とか、就職とか、そんな小さいレベルの話でなく上手くいくと思います。

僕の場合は、もうダメだ、と思ったところがスタート地点でした。
僕は「もうダメだ。」と思ったときに親友に紹介されて、我究館に来ました。どんな自分でも受け入れてくれる仲間と、コーチと、一緒に徹底的に自分と向き合いました。授業のある日は、毎回徹夜で話合いました。TOEIC900点を目指して泣きながら英語の勉強をしました。1人で海外の大学にディスカッションをしに行ったり、日本財団にコンサルティングしたり、勝手に箱根駅伝を開いたりもしました。

人生でこんなにも、アツくなった1年はありませんでした。

就職活動が終わって、1年ぶりに大学時代の友人に会ったら、居酒屋でこう言われました。
「お前変わったな。なんか…スゲーよくなった。上手く言えないけど…別人みたい。笑」

我究館は、ダメな自分と向き合い、それを乗り越えるためのエネルギーをくれ、思う存分頑張っていい場所、だと思います。ダメな自分と向き合ったら、コーチたちのエネルギーに触れたら、あとは、全部脱ぎ捨てて、突っ走ればいいだけだと思います。

就活で折れそうになる時もあると思います。ひょっとしたら既に、自分に自信が持てない状態の人もいるかもしれません。でも、皆を信じて弱い自分をさらけ出してほしいし、我究館のエネルギーに触れてほしいです。そうすれば、あとは限界まで走るだけなので。

僕は、就職活動はエネルギー量で決まると思っています。高いエネルギーを持っている人は頑張り方が違う。頑張り方が違えば、結果が違う。仲間が違う。輝きが違う。あらゆる大人たちの目が眩む程に輝けば、内定くらい当然とれます。

輝いてください。そのために弱い自分と向き合って、高いエネルギーを吸収し、傍目から見れば狂っているくらいの勢いで駆け抜けてください。そうすれば、次は自分が高いエネルギーを持つようになります。その時、輝きます。必ず。あんなにダメだった自分でも。

今輝いている人。今はまだ輝いてない人。皆のいずれにも出会える日を楽しみにしてます。

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“他力本願”ではない“自分”
Tさん(一橋大学) 大手不動産会社 内定

我究館の門を初めて叩いたのは大学4年生の夏でした。就職留年を決め、いわゆる“就職予備校”を探していた時のことです。説明会で言われた「内定や就活のためだけにこれから活動するなんてもったいない。当たり前のように行きたい企業に内定して、そしてその先どう働いて、どう社会に貢献し、どう生きていくかまで考えて欲しい」という言葉に、他の学校にはない何かを感じて入校を決めました。「新しいコミュニティに飛び込み視野を広げ、いろいろなものを吸収する」ことを就職留年中の目標にしていた自分にはぴったりだと思いました。

入校後は「よく考えて行動すること」「人のせいにしないこと」「誠実でいること」を特に学びました。今までの生活での自分の甘さをコーチや我究館生に指摘され、くやしく思い、反省したことも多々ありました。そこから自分で考え、行動してきました。また、我究館には多くの仲間がいます。様々な大学、様々な境遇の仲間とお互いに牽制し合い、助け合えたことは今の自分の財産になっています。私は現在サポーターを担当させていただいておりますが(現在就職活動中の一学年下の後輩をサポートする役割)、後輩から学ぶこともたくさんあります。自分の未熟さを痛感する毎日です。

最後になりますが、我究館は「答え」を教えてくれる場所ではないと思います。しかし、本気で活動する中で「答えにつながるかもしれないヒント」を講義やコーチ、周りの仲間から数多く得られるはずです。そのヒントからどう考えて、どう行動していくかを決断するのは、結局「“他力本願”ではない“自分”」であると考えています。

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我究館体験記
Kさん(筑波大学) 大手人材会社 内定

正直、僕は疲れきっていた。受験した企業のほとんどで1次面接落ち。就職留年を考えて我究館の門を叩いた。自信をなくし心は完全に折れていた僕だが、我究館に足を運ぶ日は何故だかエネルギーが湧いてきた。楽しいからではない。そこに行けば本気のコーチや仲間が待っている。そこに行けば本気で自分と向き合っている自分がいたからだ。

2度目の就職活動へ向けて僕は目標を立てた。「来年4月、第一志望の内定を喜び最高の仲間と抱きあうこと。」それから1年間、自己分析や面接練習ももちろん全力で取り組んだが、就職活動以外のことにも本気で取り組んだ。我究館の仲間を集め数々のイベントを成功させた。さらに我究館から離れても、自ら学生団体を起ち上げてずっとやりたいと思っていた大学の授業改革も実行した。 そして1年後、僕は第1志望の企業を含めて5社に内定した。自信に満ちあふれていた。しかし、1年前に描いていたイメージと異なり、自分の内定に喜び仲間と抱き合うことはなかった。むしろ、今後のビジョンをもう一度真剣に考え始めた。なぜなら、内定はゴールではなかったから。社会に出てからこそが本当の勝負だと僕の体はわかっていた。

入社を来春に控えた僕の心の中は、大学生活これほどまで頑張ってきたという圧倒的な自信と、社会で活躍するためにはもっと成長しなくてはダメだという強烈な焦りが同居している。 そんな日々がすごく楽しい。

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仲間と、自分の日頃の頑張りが支えになった。
Iさん(青山学院大学) 大手広告会社 内定

就活をしていく上で、自分に素直になること、会社に媚びないこと。これがすごく大事だと実感しました。これは内定先の人事の方もおっしゃっていたことですが、会社に入れてもらうのではなくて、こちらも同じくらい真剣に、自分に合う会社を選んでいくべきです。

僕も選考の中で、知らず知らずのうちに会社に媚びている(受ける会社に合わせた受け答えを考えている)自分がいることに気がつき、危機感を覚えました。 講義で聞いていたし、確かに頭ではわかっていても、ほんとにそうなってしまいました。それでは結果は出ない。ではそんな時にどうするのか。

自分がどうありたいのか、何がしたいのかを、選考のことを一旦頭から放り出して、フラットに感じてみる。 実現するにはどの会社がいいのかな?と上から目線で(心の中で!)選ぶことです。そこで大事なのが、自分が感じたことをぶつけられる仲間。思ったことを素直にぶつけて、フィードバックをくれる仲間がいるから、自分の本音や思いに気付けるし、自信も持てます。

あと1つ伝えたい事がありました。それは日頃からの努力が自分を助けてくれるということです。内定先の最終面接、僕は出だしから心の中で「これはヤバい」と思っておました。そのままいったら落ちていたかもしれない。そんな時に、自分が日頃からがんばっていた英語の話に(我究館Englishも受講していました)。どんな思いで英語を勉強しているかを語っていくうちに役員の方と意気投合。その場でプラス評価をつけてくれました。本当に英語は必須になってきているし、意識して身につければ自分にチャンスが舞い込むのだと体感した面接でした。

しっかりと目標を持って取り組んだことは、いざという時、必ず自分の支えになります。
そう信じています。

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私の我究の結末、夢を具体化させるために社会に出る
Tさん(慶應義塾大学法学部) 夏採用にて大手総合商社内定

最終面接前日、私は深い迷いの中にいた。一言でいうと、「就浪すべきか」だった。別にどこに落ちたわけでもない。むしろ商社を既に一社内定を頂き、余裕を持って本命をもらいに行く状態だ。理由は「自分のやりたいことがわからない」から。この二年間、留学やインターン先のNY、ロードトリップなど世界中を飛び回り、我究した。けれど、漠然とした夢はあっても、具体的に語れるものにはならなかった。 前日の夕方、コーチと面談した。「やりたいことが見つからないのではない。まだないだけ。」 続けて、大学入学時に上京したてで訪れた思い出の夜景スポットに赴いた。そのタイミングでOBさんからの激励のメールが入る。「今晩で働く覚悟、を決めろ」覚悟ってなんだろう。
自分は、世界をもっと豊かに、人々が幸せになれるようにしたい。それが物質的か精神的かも、具体策もまだわからない。けれど、まず目の前の人に寄り添える人になりたい。仲間と一緒に、誰も置きざりにせず、みんなで何かを成し遂げられる人になりたい。 夜景を見るうち、悔しくなった。このコアらしきものが、実は高校時代に考えていたこととあまり変わってなかった。
このコアをどう具体化したいのか。視る世界を広げ、能力を高めないといけないのに、その作業は五年かかってもまだ少ししか進んでいなかった。「だったら、もっとスピードをあげてやり続けるしかない」その場でたそがれごっこをやめて、帰宅した。 夢を具体化するヒントを得るため様々な人とモノを見るチャンスに溢れた商社に入り、視野を広げながら、まずは目の前の人に寄り添えるビジネスマンになる。面接対策を超えた覚悟ができた。翌日には内定ももらった。この二日間で何が変わった、変えられたわけではない。五年前始まった、夢を具体化する旅のまだ通過点だ。明日からもまたみんなで頑張ろう。

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真剣に自分と向き合うこと
Tさん(早稲田大学政治経済学部)財閥系総合商社にトップ内定

私が我究館に入会を決意したきっかけは一通のメールであった。2013年1月、私は当時第一志望であった外資系コンサルティングファームの最終選考に落ち、自信を失い、自分が何をやりたいのかわからなくなっていた。その時ふと、我究館のコーチからもらったメールを思い出した。私は実は2012年の夏に我究館の説明会に参加していたのだが、その後すぐには入会手続きを取らなかった。数ヶ月後、当時説明会を担当していたコーチから一通のメールが届いた。近況を尋ねる簡潔なメールであったが、短時間の説明会の中で私を覚えていたこと、また的確に私の性格を見抜いていたことに心を動かされた。私は自信をつけ、迷いを断ち切るために改めて我究館への入会を決意した。

私が入館してから、内定に至るまでのプロセスは大きく分けて2つあった。一つ目に、自身のコンプレックスを理解し、乗り越えること。二つ目に、ESや面接で自分の思いが面接官に伝わるように準備すること。この二つのプロセスを経ることで、私は現在の第一志望に内定出来たのだと思う。

一つ目のプロセスに関して、就職活動は、自分のそれまでの人生と真剣に向き合って、大きな決断をするときであると思う。迷いやコンプレックスを抱えた状態で面接に挑んでも、決して結果はついてこない。自分は完璧主義で、でもその割には頑張り切れなかったり、結果が出せなかったりして、中学生の頃からずっと劣等感を抱いてきた。劣等感やダメなところを「受け入れ」、前に進むことが出来たのは我究館のコーチやクラスメートのおかげだと思う。コーチは常に真剣に自分と向き合ってくれた。クラスメートの間では、お互いに厳しいこと、耳の痛いことを言い合い、落ち込んでいるときは励ましあった。

二つ目のプロセスに関して、いくら良いものを持っていても、相手に伝わらなくては意味が無い。自分は留学していたため就活を一年間遅らせたが、周りから優秀だと言われている同期が苦戦しているのを目の当たりした。自分の良さを如何に相手に伝えるか、その方法を会得するため、面接練習やコーチとの個別面談に通いつめた。テクニック的な面がある一方で、一つ目のプロセスとも密接に関わっている。迷いやコンプレックスを抱えている人は他人に対して中々オープンになれず、当然自身の良さも伝わらない。まさに私はそうだった。

私の夢は、多くの人から信頼され、日本経済を刺激するような、ビジネスリーダーになることである。まだ漠然としているが、必ず実現させてみせる。大きな目標の一歩として、まず来年からの仕事で輝けるように自己研鑚を続けたい。

繰り返しになるが、就活は自分と真剣に向き合う大切な機会だと思う。決して楽なことではないが、我究館には叱咤激励してくれるコーチや仲間がいる。皆さんにも是非、「真剣」に挑んで欲しい。そうすれば、納得できる結果がついてくると思う。

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甘えの1年目、自立の2年目。納得の回り道
Tさん(慶應義塾大学経済学部) 外資系IT企業など複数社にトップ内定

自分は我究館生の中でも“異色”な存在だ。
なぜなら我究館に入ってから就職留年を決めた数少ないケースだからだ。1回目の就活の時、自分は何がしたいかよく分からなかったし、何に向いているのかも分からなかった。客観的にアドバイスしてくれるところで自分について考えようと思い、我究館への入館を決めた。自己分析する過程で自分は「クリエイティブで人をわくわくさせる仕事がしたい」と思い、広告業界を志すようになった。広告代理店を筆頭にメーカー、通信業界を中心に受けた。
しかし志望郡の企業は全滅した。当時自分には頑張っていたという自信があった。最終面接前には我究館に住んでいると言われる程通いつめていたぐらい。

就職留年を決めてからは残りの期間で自分に自信をつけるために海外インターンシップへの参加を決意。TOEIC600点の状態で3ヶ月間、アメリカのテレビ局に乗り込んだ。自分で何か一つプロジェクトをやり遂げることを「自分ルール」として作り通常業務に加えて、インターン生の研修マニュアル作成のプロジェクトを立ち上げ海外の学生と協力して作り上げた。年も国籍も違う学生と一緒に一つのものを作り上げる経験に自信を得た。それと同時に現地であった優秀な学生と将来のキャリアを語り合う事で自分の考えも変化していった。

12月に帰国し迎えた2回目の就職活動。前回の失敗を含めて今年意識していた事は2つ。①たくさんの人に会い自分の考えをぶつけること。前回は広告業界だけに絞りOB訪問をしていたことで偏った考え方をしていた。今年は業界問わず、40人〜50の社会人に会い行き話を聞いた。自分の興味のあること、やりたいこと、考えをぶつけ、アドバイスをされてはまた考えて直してぶつけることなどを繰り返し、自身の考えを固めていった。②早期から面接を受ける事。2回目といっても緊張しやすい性格なので慣れが必要だと感じていた。2月頃からベンチャーの選考会に参加し面接をひたすら受けた。社員と話す機会にもなり、自分の興味を広げる事にもなったので結果的に良かったと感じている。それらを繰り返している内に次第と「IT業界×裁量×自分の強みを生かせるところ」という三つの軸に絞れてきた。
面接では特にロジカルに話す事を心がけていたので面接を受けては毎回内省し内容を詰めていった。そして4月の1週目に第一志望であった企業から内定をもらうことができた。
三つの軸にあてはまりながらも面接で話した面接官の優秀さ、年次にとらわれないフラットな雰囲気が自分に合うと感じ入社を決めた。

ここまで自分の就職活動を振り返ってきたが、結果的に留年を決めて良かったと感じている。それまで何かと環境に依存している自分を独り立ちさせる良い機会にもなった。「環境に甘えるな」。
去年の自分にアドバイスするとしたらこう言うだろう。実は今年1年は個別面談にも模擬面接にも行っていない。我究館にいればどうにかしてくれるという甘えを捨てたいと感じていたから。ただ、ここで学んだ熱く前を向く姿勢、諦めないマインドは本当に就活に活きたと感じている。そもそも我究館に入っていなければ留年という選択肢はなかったと思うから。周りに流されず「自分」で考え、行動していく。ここだけは忘れないようにしたい。
今後は就職活動以上の困難な状況が待ち受けている。どこに入るかも大事だが、そこでどう頑張るかがもっと大事だと思っている。
まずは1年目から圧倒的な活躍すること。これが直近の目標として置いている。あと1年、自分にはなにが必要か、何ができるかを考えて行動していきたい。

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劣等生で十分だ。ろくでなしでかまわない。
Yさん(地方私立大学) 大手総合商社トップ内定

高校中退。偏差値48の無名大学。
ボーズ頭でスーツをまとえば、一見ヤクザかチンピラ。
まさかの来年から、世界を舞台に戦う商社マン。

高校中退後は、日本各地を歩き周った。
日本を世界へ伝える伝道師となるべく入った大学。入学と同時に研究室に飛び込み、研究に没頭し、飛び級。休みをとっては、日本だけでなく世界の友人を訪ね回った。

大学でつけた力を社会で試したいと休学をし、海難救助のNPOへ飛び込んだ。
ちょうど東日本大震災が起きたときで、僕は先輩とともに、ガレキに埋もれる東北に乗り込んだ。 4階建てのビルの上に車と船が乗っかり、丘の上に立つ病院には浸水の後。毎日のように掘り起こされる亡骸。テレビやネットでは伝えられない、鼻をつくヘドロの異臭と住民の声。

すべてが自分の想像を遥かに超えていた。
そして、突きつけられた、現場での自分の無力さと、国を支えるという意味。
一生なんとなくチンピラをやっていても、地域に恩を返すことなんてできない。

日本という恵まれた国に生まれ、多くの選択肢があるからこそ、自分のすべての選択に確信と責任を持ちたかった。そして、我究館の門をたたいた。

常に人と違う生き方を追い求め、アウトローに生きてきた人間が、喪服にしか見えないリクルートスーツを着るまでに1ヶ月。ボーズから髪を伸ばすのに3ヶ月、商社へ行く覚悟を決めるのに半年。
この間、目の前の現実から逃走脱走を図ったこと、数知れず。

我究館は覚悟を噛み締める場であった。多少の無理をしてでも、見たい世界がある。それは商社しかり、就活のその先の世界と自分を描き続けた。
そして、僕は最高の決断を、最大の覚悟を持ってすることができたと確信している。
それは、失敗と現状から目をそらさなかったから。そして仲間と未来を描き、常に変化を起こすからおもしろさに身を持って気付くことができた。

劣等生でもいい、ろくでなしでもかまわない。
できない理由はいらない、どうしたらできるかをひたすら考え抜く。そして、生き抜く。
どうやら、未来はやってくるものではなく、つくるものらしい。

我究館を経た、僕たちはそう思い始めている。
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我究館は、刺激ときっかけに溢れている
Oさん(上智大学大学院理工学研究科) 外資金融内定

私が我究館に来たのは、就職活動を半年後に控えた春。自分の答を見つけたい、そしてその答に近づける自分になりたい、そう思ったのがきっかけでした。入館した直後から、講義や面談、仲間たちとのディスカッションなどを通して、自分の本音と徹底的に向かい合い、そして小さなことでも日々チャレンジをし続けました。

その後、私は半年間の留学を決めました。「留学を通じて理想の自分に一歩でも近づく。」そう自分に言い続け、半年間を駆け抜けました。 睡眠時間を削って必死に勉強をし、ディスカッションではビジネスマンたちに負けじと張り合い、その合間に時間を見つけては、他国の留学生とのイベントや、OB訪問に励んでいました。

帰国後すぐに就職活動を始めましたが、それからは毎日がもの凄いスピードで過ぎていきました。セミナーやOB訪問はもちろんのこと、我究館でも連日連夜、自主ゼミや模擬面接、各業界で活躍しているOBの特別講座、仲間たちとの業界研究などに取り組んでいました。
その度に、最初は漠然としていた思いが少しずつはっきりし、自分の求めているものが見えてきたように思います。

我究館に入ってからというもの、どんな時も、私はある種の(ポジティブな)プレッシャーに追いかけられていたと思います。 「自分は何者で、何がしたいのか。そのためにどのレベルまで自分を成長させる必要があるのか。」いつもこの問いに追いかけられながら、懸命に走っていました。その原動力を「我究館」に注いでもらったと思います。それは、ここが刺激ときっかけに溢れた場所だから。刺激とは、問いであり、仲間やOBとの出会いであり、経験であり、自分自身との向かい合うこと。そしてその刺激に触れることが、答を見つけるためのヒントになり、また自分の思いを確かめ、自分を成長させることにもなったと思っています。私がそうして答を見つけた時には、自分を飾る必要はなくなっていました。本命の外資系金融の面接でも、ありのままの自分として本音で面接に臨むことができました。

今になって思うことは、我究とは一生し続けるものだということです。これからも、これまでと同じように、答を探す作業を続けると思います。

いつもベストの自分で、ベストの答を目指していたいと思うから、です。

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「かなわない」仲間と切磋琢磨した一年間で描けた「ヤリタイコト」
Yくん(慶応義塾大学商学部)  広告会社内定

「内定しました。」

希望していた会社の内定報告を我究館にしたとき、淡々とそう言ったのを覚えている。 自分でも驚くほど淡々と。 嬉しくなかったわけではない。
むしろ飛び上がるほど嬉しかった。 それでも冷静だったのは、受ける前から「落ちるわけがない」と確信していたからだ。

僕が我究館に入館したのは、就職留年をするかどうかで迷っていた大学4年の夏。
1年目の就職活動は業種を問わず、いわゆるトップ企業と言われる会社ばかり受けていた。
結果は1社から内定をいただいたものの、他は全て最終落ちに終わった。 「ヤリタイコトがハッキリしていなかったからだろう。ヤリタイコトを明確にしてもう1年やればどこでも受かる。」 しかしあの頃の僕はそんな根拠のない自信を持っていた。

こうして内定をいただいた会社に就職するか留年するか迷っていた頃に我究館の存在を知った。
もし2年目の就職活動をするなら1人より仲間がいた方がいい。 そんな軽い気持ちで我究館の入館説明会に参加してみた。
そして、それまで持っていた僕の自信はあっという間に打ち砕かれた。 そこにいた人達に圧倒されたのだ。 何を言われたわけではない。
ただ、ただ、発するパワーが違う。 オーラが違う。 勢いが違う。 「かなわない。」 僕は自分を磨くべく、我究館入館をその場で即決した。

我究館での講義は僕の自信をさらに粉々に、いや粉も残らないくらいに吹き飛ばしてくれた。コーチの方や先輩達だけではなく、同期のヤツにもかなわない。 正直、毎回講義の帰りはパワーを使い果たし疲れ果てていた。 「もうやめたい」と思ったこともあった。 しかしやめはしなかった。
我究館で自分を磨けば絶対に内定する。 いや、内定など通り越して自分の人生に必ずプラスになるはず、そう思えていたからだ。

1年後、僕は希望の会社も含めて4社に内定した。 広告ゼミの仲間との毎週木曜の突っ込み合い。
尊敬できる我究館の先輩や社会人の方々との徹夜の語りや呑み会。
2、3月中は毎日自己PRと志望動機を書き直してはチェックしてもらい、また書き直すという日々を送っていた。
そんな中で揉まれ、考え、実際にアクションしていくことで僕はどんどん成長し、何となくだが「ヤリタイコト」のようなものも描けるようになっていた。 その結果の内定だった。

今、僕は内定などちっぽけなものだと考えている。 自分を磨き上げ、自信を持って臨めば、そんなもの自然とついてくるからだ。 それよりも4月から始まる新しい社会人生活が楽しみで楽しみで仕方ない。

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たくさんの涙と共につかんだ、大切な経験と最高の仲間
Wさん(学習院大学文学部)  広告会社内定

「君はこれから何リットルって、涙を流すと思う。」

私は我究館に入る時にこう言われた。実際には、それ以上の涙を流した。 時には悔しくて、時には情けなくて、時にはただ涙がとまらない時もあった。
しかし、最後はうれしくて涙があふれた。

私が我究館の門を叩いたのは、4年の12月に留年を決めた直後。
広告業界に絞って就職活動を始めたが、どうするべきか悩み、わらをもつかむ気持ちだった。
しかし、結局私はわらではなく、多くの大切なものをつかんだ。 参考になればと思い、私がどのように利用したかを話したいと思う。

まず、講義には積極的に参加した。 そして、わかりやすく相手に伝えること、人の話に注意深く耳をかたむけることを学んだ。 ワークシートなどの課題は1週間かけてじっくりやり、講義の間はとにかく集中した。

次に、自主ゼミ。クラスの自主ゼミとアドゼミと呼ばれる広告志望者のゼミの二つに参加した。
前者は週に2回、模擬面接、ワークシートの突っ込みあい、(発表し、参加者全員の質問を受ける)、ディスカッションなどを行った。
後者は、週に1回、自己PR、志望動機などを発表し磨いていくことに力を入れた。
どちらも、その場にいるだけでは意味がないので周到に用意して参加した。

そして、週に1度は受けた模擬面接。
考えている時とすらすら言える気がするが、実際やってみるとそうはいかないので、模擬面接を受け、自分の言葉で相手の質問に対してまっすぐに的確に答える練習をした。 私は、面接後に何度も自分のテープを見返しては、反省点を書き出し、家に帰って何度も練習した。

講義、自主ゼミ、模擬面接、とにかく容赦なく直した方がいいところを指摘され、いつも落ち込んだ。
しかし、泣きながら這い上がったからこそ、徹底的に自分に向き合うことができたのだと思う。

これを読んだ人は、なんてつらそうと思うかもしれない。 しかし、私はたくさん泣いたが、それ以上にたくさん笑った。
なぜなら、我究館を通じて、最高の仲間に出会えたからだ。 自分に徹底的に向き合う、人に出会い多くのものを得る、それができるのが我究館。

みなさんにも是非頑張ってほしいと思う。

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僕は確実にテンパっていた。でもそれが、なんだかとても気持ちよかった。
Jくん(早稲田大学法学部)  不動産会社内定

貴方は「テンパる」という言葉をご存知だろうか?それは簡単に言うと、「もうどうしようもない状況にまで追い詰められる」ということだ。

僕は大学生活を、常に「どーにかなるだろう」というノリで生きて来た。貧乏旅行をしたり、女の子と戯れたり、飲み会をしたり、バイトしたり。(・・・それなりに楽しくやってきたし、そこそこネタのストックもあった。)だから、就職活動ではそれらをうまく武勇伝に仕立てて、そこに我究館のエッセンスを入れてもらえば、結構アツい会社にだってこれはもう、いけるんじゃないか。という打算があった。

で、我究館の門を叩いた。「飛んで火にいる夏の虫」だった。筆舌に尽くしがたい否定の連続だった。(別に殴られたりした訳じゃないよ。念のため。)

それまでの学生生活において、テンパリ回数はほぼゼロに近かった。だが、いざ「壇上」に上がってみて、うまい表現じゃないけど、はじめて自分のヤバさに気付く。まさに「井の中の蛙」状態だった。テンパリの回数はうなぎのぼりとなった。でもそれは、自分のせいだとも思うようにした。

そんな中で、マゾ?にもなってしまった。
我究館でエントリーシートと格闘していたら、いつのまにか二泊三日していたこともあった。鏡を見るとクマが出来、不精ひげも生え、鼻毛は束で見えていた。その時の僕は確実にテンパっていた。でもそれがなんだかとても気持ちよかった。

本気で物事に取り組むのは、本当にテンパるからメチャメチャつらいし、でも、それと同じくらい、いやそれ以上にメチャメチャ楽しかった。かつてない密度で日々が過ぎていった。そして第一志望群にある会社の最終面接までたどりついた。「これでこの会社に内定できなかったらマジテンパるなぁ」でも落ちたよ。これでほんとうにテンパった。

某広告会社内定の僕の友達のWさんは何10リットルの涙を流したと言ったけれど、僕はそれからも、何10センチも鼻毛を伸ばした。最終面接に落ちてからが本当のテンパリだった。僕はかつてなく本気で頑張った。そしてついに、内定が、出た。テンパリの流れの中に、引っかかって来てくれた、という感じだった。しかも幸運なことに、そこは自分の志望する会社だった。

僕がテンパることで得たものは、非常に多い。それに、本当に面白いやつらと出会えたことがとても誇りに思えている。ちょっと青くさいけど。

今は早く社会で自分の力を試したくてワクワクしている。偉そうになるつもりはないけど、何も知らなかった以前の僕の、漠然とした自信と、テンパリを通り越した今の僕とは、やっぱり何か、どこか違って、それがいい方向に僕を運び、僕を強くしたと思う。だから皆さんも、ひとつテンパってみて下さい。そして気合で、もひとつ自分を伸ばしてやりませんか。

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誰のものでもない自分だけの人生を一番充実して過ごす方法
Tくん(明治大学経営学部)  人材教育会社内定

大学2年の中頃から漠然とそう考えていた私は、三年になると大学のマスコミ研究室に入室した。
何度も新聞記者の筆記対策を繰り返し、OB訪問も数をこなした。
他の学生より自分のほうが就職においては一歩先を行っているという妙な自信もあった。

けれども、そのような就職対策に追われているうちに、自分がなぜ新聞記者になりたいのかという一番大切な部分がわからなくなってしまっていた。 そんな心境の時に、杉村太郎さんの講演会を聞いて我究館の存在を知った。

「夢や志について、真剣に語り合える仲間とともに、もう一度自分自身を見つめなおしたい」 そんな大風呂敷を広げて、我究館の門を叩いた。

しかし、文字で書くとカッコいいが「夢や志について真剣に語り合う」作業は、想像以上に辛く、苦しいものであった。
本音に気づくことができずに、キレイゴトばかり並びたてていた最初は、何度も何度も、自分の考えをコーチの方や仲間たちに否定された。
今まで築きあげてきた自信がガラガラと音を立てて崩れていくことも少なくなかった。

けれども、この作業を決して辞めようとは思わなかった。
少しずつではあるが、自分の本音に近づいていく実感みたいなものはあったし、何より我究館の仲間と共に語り合うのは楽しかった。

そして、自分の本音にようやく気づきはじめた頃、その本音をある会社にそのままぶつけてみた。
新聞社に行かなかったことをまったく後悔していない。内定した会社が今の自分の志を実現するうえで最高の舞台だと確信している。

大切なのは、自分の本音に気づくこと。なぜならそれが、誰のものでもない自分だけの人生を一番充実して過ごす方法だから。

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我究館で得たものは、「自分の人生これでいいのか」と追求する姿勢
Tくん(青山学院大学大学院国政政治経済学専攻)  証券会社内定

『入館前』

私と我究館との出会いは大学3年の時に絶対内定を読んだ事に始まる。 その頃は我究館を単なる内定獲得の為のスクールとしか捉えていなかった。
たかが就職活動くらい他人とつるんでやらなくてもいいではないか、そう考え我究館に足を運ぶ事はなかった。

そして思うところがあって大学院に進学した。 修士1年の12月、再び就職活動を迎え嫌でも自分の将来について考える。
そのとき絶対内定を読み返したところ「俺の人生はこれでいいのだろうか、本当はどうしたいのだろうか」という思いに駆られ一度真剣に自分と向き合い、他人と語り合いたくなった。 自分ひとりで考えていては浅はかなものになると思った、限界があると思った。
人生は言ってみれば他人とのtransactionであるから他人の目でビシビシ批判される事で見えて来るものがあると思ったのだ。

「我究館ってどんな事をやっているんだろう」
冷やかしの気持ちも多少持ちつつ説明会に乗り込んだ。 エネルギーがあった、面白そうだった。
確かに今までに味わったことのない空気。そう思い実際に通うことにした。

『入館後』
講義や自主ゼミを通し我究を重ねていくうちに、他人から見たら大勘違い状態と思われるほどの大きな夢を描いてしまった自分に気付いた。
ヒトに言うのはちょっと恥ずかしい、でも世の中になんか遠慮する事ない。
しかし、内定を幾つかもらい就活も終盤に差し掛かったときから本当の我究が始まったのかもしれない。

内定獲得に飽き足りず、更なる我究を重ね本当に俺の人生をどうしたいのかを自分に問うた。
スタッフや仲間と語り合ううちに「自分の人生これでいいのか」を追求する姿勢が身に付いていたのだ。
これが我究館の威力であり、我究館が就職予備校に留まらない所以である。

『使用上の注意』
我究館を思う存分活用しようと思えば、与えられるのを待っていては駄目だ。 コーチやOB・OGをとことんこき使ってやるのだ。
そして仲間に対し何ができるかを考える事だ。
自分を磨きたい!真の男・女として自立して生きたい!そう思った瞬間から人に与えてもらおうと思うのを止めなければいけない。
あのA.猪木もこう言っているではないか「人は与えてもらおうと思った時から年老いていくものだと思います」。

『付記』
私自身が我究館に来て変わったと思う事、100個ある具体例の中から1つ挙げるとすれば、自分で言うのもおこがましいが「謙虚」になれた事ではないだろうか。 謙虚になって周囲から学び、自分の夢を本当に実現するのだという覚悟が出来た事である。

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自分では気付けなかった多くの視点を与えてくれた
Hさん(日本女子大学文学部)  百貨店総合職内定

我究館に来る前、私は航空業界、グランドホステスを目指していた。
大学生活はバスケット、アルバイトに熱中していたので、三年の秋に行われた就職ガイダンスを皮切りに焦りを感じ始めた。
航空スクールの体験入学にも参加してみたが、いまいちピンとくるものもなく、私には単なるマナー講座にしか見えなかった。
そんな時に読んだのが「絶対内定」だった。 今の自分に必要なのは外面を磨くことでなく、まず自分を知ることだ。 そんな思いで我究館に来た。

2月:どうしてもグランドホステスになりたいと思いながら入館面談を受けた。
そこで我究館スタッフの方が言ったことは「じゃぁ、もし君が明日からグランドホステスやれるとしたらどんなキャパシティを持って働く?」という言葉で私は言葉がでなかった。

私が我究館で特に利用したことは大きく分けて3つある。

(1)もちろん我究(定例講義、自主ゼミ)、(2)OB講演会、(3)Tゼミ(徹夜ゼミ)
一つ目、我究。 内定=ゴールじゃないんだと目覚めた私は我究を重ねた。
自主ゼミという様々な人達がいる中で我究をすることによって、客観的に自分を見つめなおすことができただけでなく、周りの人達への意識、両親への意識、社会への意識までも変わった気がする。
またとても人見知りしがちで、コミュニケーション下手な自分を克服する場としても自主ゼミはとても価値があった。

二つ目。OB講演会。それまでは興味のなかった業界のセミナーにも参加した。
いろいろな業界で活躍しているOBの方々のお話を聞くことによって、如何に自分が踊らされていたかを身にしみて感じた。
参加していくうちに、業界間の結びつきなども分かり、広い視野に立って業界を見渡すことができた。
OB講演会は航空業界から百貨店業界へと変わっていくきっかけのひとつにもなった。

三つ目。Tゼミ(徹夜ゼミ)。 Tゼミは私にとって一番のプレッシャーの場だった。
3月中旬:ここまできて私には変な自信があった。 というもの我究をし、OB訪問を重ね、業界本も何冊も読んだ頃だった。
ある日、私はTゼミの中で百貨店業界を熱く語った。 しかし我究館スタッフの方々には伝わっていない様子だった。
その時言われたことは「そんなに百貨店って言うけどどのくらい見てきたの?」だ。 模擬面接で伝わらなかったのも、それもそのはず。
私は自分から自分の視点で百貨店を見ることをしていなかった。 翌日から百貨店、ライバル店を回りに回った。
流通雑誌の一年分の資料を見て、自分の視点でそれらを読み、改善案を考えた。 自分の無知さを認めて、とにかく突っ走った。

4月:この時期になるとエントリーシートの締め切り。 会社説明会のラッシュで自分の時間がとられ心が弱っていた。
この時、コーチの方に「自分が楽しいと思える時間を作ろうよ」と言われた。
限られた時間の合間を縫って大好きな映画や買い物、カラオケ、また再び部活に参加したり、なつかしの友人にコンタクトをとってみたりと「幸せだー!!」と思える時間を過ごした。 今思えば実はこの時間が重要だった。 この時間がなかったら完全に就職活動にとりつかれていたと思う。

5月:本番を迎えた。面接は本当に楽しかったが、面接後はライブノートを書いて、自主ゼミの中でクラスの人の意見をもらった。
その後、本命の会社から内定を頂いた。
私は運良く早々と本命企業から内定を頂いたので、就職活動の苦しさはほとんど分かってないかもしれないが、内定の電話を受けて心の底から嬉しかった。 他人に勝ったという嬉しさではなく、ありのままの自分で勝負できたことが、何よりも嬉しく、そして自信にもなった。

就職活動を終えた今、社会に出ることにワクワクしている(決して楽しいことばかりではない日々だろうが)。
何故なら我究館に来て自分を知り、自分の生き方を見つけて、自分を好きになれたから。 それと今は誰にも譲れない夢があるから。
その2つを信じて、まわりに流されず、自分に負けない志を持って、来春から新しい一歩を踏み出していこうと思っている。

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「できるだけのことはやった」という達成感が自信に
Oくん(中央大学法学部)   情報通信会社内定

人生における何度目かの転機。その転機で妥協はしたくなかった。

一年目の就職活動は決定力不足だった。 自分に何ができるのか? 自分は何がしたいのか?
それらを面接という特殊な空間でいかに相手に伝えればいいのか。 いま思えば、そのすべてが曖昧なままだったような気がする。

二年目の活動をするにあたり、我究館の門をたたいた。
そこで真のビジョン、本当の夢を求め、徹夜で仲間たちと語り合い、週に一度の自主ゼミも欠かさなかった。
また生来の内向的な性格だったからこそ、アルバイトを変えて簡単な「営業」も経験。
就職活動が間近になると模擬面接で泣かされそうなほどに厳しい突っ込み・・・。
そんなペースメーカーとして我究館を利用しながら一年間を自分なりに有意義に過ごせた。
その中で全てを経験し、全てに立ち向かったとは思えないけど、「できるだけのことはやった」という達成感が自信となった。

二年目の結果も正直、内定を取りまくったわけではない。 一次面接でさっくり敗退、あるいは最終面接であっさり落とされることも多かった。
でも、自分が本当に成し遂げたい夢が僕を支えてくれた。 結果、第一志望のIT企業に(なんとか)内定。

社会という大海の門前で、恥も外聞も投げ捨てて本気で本音でぶつかり合った仲間たち。 4月からは彼らもそれぞれの自分のフィールドで歩き出す。
また、海外留学や芸能活動など就職以外の道を選び、実際にもう歩き出している仲間もいる。
でも、5年後、10年後でも彼らとの友情だけは、ずっと続くような気がする。

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二度目の転機を支えてくれたのも、我究館の仲間たちだった
Sくん(中央大学経済学部卒業)  総合商社退職後、アメリカにて起業準備中

中学生の頃から憧れていた総合商社に入ってあっという間に6年間がたった。当然世の中のウケはいい。正直、女性のウケもいい。ただ、10年後、20年後、ここにいていいのかという気持ちがあった。MBAも考えた。転職も考えた。悩みに悩んだ。

滅多に悩まないが、人生上で悩んだとき、相談するのはいつでも就職活動をしたときの我究館の仲間。もう一生付き合うことになるんだろう。彼らのいいところは、例えしばらく話していなくても、最近どう?という会話抜きにいきなり本題から話せる信頼関係があるところ。そして、世の中の流れをきちんと把握したうえでアドバイスできるビジネスパーソンであるところ。

彼らと話し、自分の将来に確信が持てた。起業しかない。

今までの人生で起業は考えたことが無かった。親戚で企業家がいて、その苦しさを嫌と言うほどみてきたからだ。でも、決めた。そして、縁あって、アメリカで起業することになった。

ここサンフランシスコに来て2週間。2ヵ月後の会社設立に向けて夢の中でも仕事を考える毎日。いつか我究館の仲間とドリームチームをつくって仕事をしたい。そのためにも、今の仕事を絶対に成功させなければ。アメリカで起業して、アメリカで上場して、多くの影響を世の中に与えるためにも。

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今の自分を支えているのは、自ら描いた理想と、我究館で出会った仲間の存在
Mさん(慶応義塾大学文学部) キャビンアテンダントからケーブルテレビ制作職へ、そしてスポーツ新聞記者に転職

毎日が、確認作業の連続だ。
今日の自分はどうだったか、明日に向けて反省することは何か、そして、自分の目標は何だったのか。何のために働いているのか。自問自答を繰り返す。

毎日の予定が事件やニュースで決まっていく。次の休みがいつかもわからない。 そんな不条理極まりない記者という仕事を選んだ以上、 この確認作業をしないと、どんどん流されていってしまう。

理想があるから、毎日落ち込む。 描いた理想と、現実の姿のギャップの大きさに愕然とするなんて、しょっちゅうだ。

でも、それは自分の人生を真剣に生きているからだと思えるようになった。 私は、自由になるために働いている。 時間やお金や行動や空想の限界や、 そんな、制約から解放された人生を送ってみたい。 ある程度の社会的な認知を得て、 自分の名前や発言で、自分が善と思える社会に向けて、針路を提示してみたい。

今の自分を支えているのは、自ら描いた理想と、もうひとつ。 我究で出会った仲間たちと月に数回、向き合うとき、恥ずかしくない自分でいたいから。 彼らの存在が、自分の勇気の源泉だから。 そんな関係を、ずっと持ち続けていたいから。

学生時代、自分のことが一番わからなくて、 「好きなものは好き、やりたいものはやりたい。なんで理由がいるんだ?」って 毎日毎晩ジタバタした。 自分だけがトンネルから抜けられないような気がして、 すごく怖かった。取り残された気がした。 結論は、やりたいようにやってみよう。
キャビンアテンダントをやった。レポーターもやった。そして今は、記者だ。

自分に起こることは、すべて必然。 「すべてはうまくいっている」。 その座右の銘を胸に、今日も現場に向かっている。

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学生のときに増してパワフルな我究館の仲間に、負けていられない。
Kくん(上智大学大学院理工学研究科)  広告会社勤務

いま、仕事が楽しい。

徹夜はつらいけど、自分の仕事が広告となって世の中に出ると、その歓びは中毒になってしまう。 これまでには仕事がつまらなくなった時もあった。 それは同じことの繰り返しをしているときだ。 仕事の時間は今よりも短かったのに、疲れきっていた。
俺は仕事をまわすより、新しい仕事をつくりあげるほうが好きなんだと改めて確信している。

そしていま、3年目になってだんだん仕事も任されるようになってきた。 自分の企画も通るようになってきた。新しいステージに入ったのだと思う。

P.S. 我究館卒業生の同期(社会人3年目)もちょうどそんなタイミングのようだ。
就職後もよく飲みに行ったり渋谷へナンパしに行ったりするが、ヤツらは学生のときに増してパワフルだ。 俺も負けてられない。

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全力疾走
Kくん(国士舘大学体育学部卒業)  人材サービス会社内定

とにかく4年間は全力疾走だ。1998年3月。二度目となる大学生活に向けて、自分に言い聞かせた。社会へ飛びだすその瞬間には、自信もってギラギラと眩しいヤツでいたかったから。

その大学再入学の丁度一年前、僕は挫折感たっぷりで大学生活をスタートした。大学での勉強や、仲間や、サークルの話で盛り上がる同級生達。眩しかった。
楽しいけれど、何か満たされないでいた。そんな時、書店で手にした「絶対内定」。魂がこぼれそうなくらい熱い(厚い)本だった。ココに書かれている学生は半端じゃない。(キリマンジャロ登頂?30カ国の放浪?大学時代に起業?)なんて学生だ!と驚き半分。何より、全力で生きている日々が気持ち良さそうだ。彼らに負けない4年間を過ごそう。今、再スタートすれば4年(社会人まで)もある。リベンジできそうだ。自信に根拠はないが、入館する時には我究館の仲間に引け目を感じずにいたい。だから、「新しい大学で成績トップを取ろう。とにかく4年間は全力疾走だ」と決めていた。

1年生の秋。入館するのが待ちきれなくなってきた。バイトも勉強も遊びも全力で取り組んできたことで、自信も徐々に復活してきた。早く試したかった。コーチ陣や先輩にも、早くぶつかってみたい。そんな衝動から、勝手に説明会を申込んで訪問した。
「3年の夏に入館する時には同期よりも突き抜けていたいから、先に見学にきました」と話した。
「じゃあ、今から来い。ダントツなヤツになりたいんだろ?本気なんだろ?」

それからの日々は、22年の人生でもっとも刺激的で成長感に溢れた時間だった。朝まで本気で語れる仲間。東京から京都まで520キロ超の駅伝大会を一緒に企画した仲間。人生で一度くらい世界の頂点に立ちたい!そんな話が盛り上がってアフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ登頂しに行った一生の親友との出逢い。

自己分析も大事、志望動機を練るのも大事。だけど、自分が挑戦したい(やりたい)ことに夢中で取り組む事は最も大事。いつからだって、スタートはできる。
ただ、本音を言えば時間は有限だ。アクセルを踏み込むなら早ければ早いほどいい。気持ちよすぎて「時間はいくらあっても足らない」ってきっと思うから。

就職先も自分がどんな仕事・会社よりも「全力疾走」できるR社を選んだ。1年生からの我究の成果として、ビジョンは明確になっていた。それだけでなく、就職活動 に際しては、いわゆる能力的なものに関しても他の学生に負けるわけはないと密かに思っていた。結果、僕の大学からは約十年ぶりというR社への内定が出た。

入社2年目の今年3月。ナゴヤドームで開催する就・転職イベントのディレクターとなる。企画・運営から広告宣伝、トラブル処理までまさに全力疾走の二ヵ月だった。
結果、来場者12,929人。出展企業は297社。目標どおり、東海地区最大規模のイベントとなった。

全力疾走モはやっぱり最高に気持ちがいい。でも同時に、これで満足してたまるか、とも言い聞かせている。

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