受講生の声

学生校 体験談

大学3,4年生、大学院生コース

大学1,2年生コース

  • 全力疾走
    Kさん(国士舘大学体育学部卒業)  人材サービス会社内定

我究館は、刺激ときっかけに溢れている
Oさん(上智大学大学院理工学研究科) 外資金融内定

私が我究館に来たのは、就職活動を半年後に控えた春。自分の答を見つけたい、そしてその答に近づける自分になりたい、そう思ったのがきっかけでした。入館した直後から、講義や面談、仲間たちとのディスカッションなどを通して、自分の本音と徹底的に向かい合い、そして小さなことでも日々チャレンジをし続けました。

その後、私は半年間の留学を決めました。「留学を通じて理想の自分に一歩でも近づく。」そう自分に言い続け、半年間を駆け抜けました。 睡眠時間を削って必死に勉強をし、ディスカッションではビジネスマンたちに負けじと張り合い、その合間に時間を見つけては、他国の留学生とのイベントや、OB訪問に励んでいました。

帰国後すぐに就職活動を始めましたが、それからは毎日がもの凄いスピードで過ぎていきました。セミナーやOB訪問はもちろんのこと、我究館でも連日連夜、自主ゼミや模擬面接、各業界で活躍しているOBの特別講座、仲間たちとの業界研究などに取り組んでいました。
その度に、最初は漠然としていた思いが少しずつはっきりし、自分の求めているものが見えてきたように思います。

我究館に入ってからというもの、どんな時も、私はある種の(ポジティブな)プレッシャーに追いかけられていたと思います。 「自分は何者で、何がしたいのか。そのためにどのレベルまで自分を成長させる必要があるのか。」いつもこの問いに追いかけられながら、懸命に走っていました。その原動力を「我究館」に注いでもらったと思います。それは、ここが刺激ときっかけに溢れた場所だから。刺激とは、問いであり、仲間やOBとの出会いであり、経験であり、自分自身との向かい合うこと。そしてその刺激に触れることが、答を見つけるためのヒントになり、また自分の思いを確かめ、自分を成長させることにもなったと思っています。私がそうして答を見つけた時には、自分を飾る必要はなくなっていました。本命の外資系金融の面接でも、ありのままの自分として本音で面接に臨むことができました。

今になって思うことは、我究とは一生し続けるものだということです。これからも、これまでと同じように、答を探す作業を続けると思います。

いつもベストの自分で、ベストの答を目指していたいと思うから、です。

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「かなわない」仲間と切磋琢磨した一年間で描けた「ヤリタイコト」
Yくん(慶応義塾大学商学部)  広告会社内定

「内定しました。」

希望していた会社の内定報告を我究館にしたとき、淡々とそう言ったのを覚えている。 自分でも驚くほど淡々と。 嬉しくなかったわけではない。
むしろ飛び上がるほど嬉しかった。 それでも冷静だったのは、受ける前から「落ちるわけがない」と確信していたからだ。

僕が我究館に入館したのは、就職留年をするかどうかで迷っていた大学4年の夏。
1年目の就職活動は業種を問わず、いわゆるトップ企業と言われる会社ばかり受けていた。
結果は1社から内定をいただいたものの、他は全て最終落ちに終わった。 「ヤリタイコトがハッキリしていなかったからだろう。ヤリタイコトを明確にしてもう1年やればどこでも受かる。」 しかしあの頃の僕はそんな根拠のない自信を持っていた。

こうして内定をいただいた会社に就職するか留年するか迷っていた頃に我究館の存在を知った。
もし2年目の就職活動をするなら1人より仲間がいた方がいい。 そんな軽い気持ちで我究館の入館説明会に参加してみた。
そして、それまで持っていた僕の自信はあっという間に打ち砕かれた。 そこにいた人達に圧倒されたのだ。 何を言われたわけではない。
ただ、ただ、発するパワーが違う。 オーラが違う。 勢いが違う。 「かなわない。」 僕は自分を磨くべく、我究館入館をその場で即決した。

我究館での講義は僕の自信をさらに粉々に、いや粉も残らないくらいに吹き飛ばしてくれた。コーチの方や先輩達だけではなく、同期のヤツにもかなわない。 正直、毎回講義の帰りはパワーを使い果たし疲れ果てていた。 「もうやめたい」と思ったこともあった。 しかしやめはしなかった。
我究館で自分を磨けば絶対に内定する。 いや、内定など通り越して自分の人生に必ずプラスになるはず、そう思えていたからだ。

1年後、僕は希望の会社も含めて4社に内定した。 広告ゼミの仲間との毎週木曜の突っ込み合い。
尊敬できる我究館の先輩や社会人の方々との徹夜の語りや呑み会。
2、3月中は毎日自己PRと志望動機を書き直してはチェックしてもらい、また書き直すという日々を送っていた。
そんな中で揉まれ、考え、実際にアクションしていくことで僕はどんどん成長し、何となくだが「ヤリタイコト」のようなものも描けるようになっていた。 その結果の内定だった。

今、僕は内定などちっぽけなものだと考えている。 自分を磨き上げ、自信を持って臨めば、そんなもの自然とついてくるからだ。 それよりも4月から始まる新しい社会人生活が楽しみで楽しみで仕方ない。

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たくさんの涙と共につかんだ、大切な経験と最高の仲間
Wさん(学習院大学文学部)  広告会社内定

「君はこれから何リットルって、涙を流すと思う。」

私は我究館に入る時にこう言われた。実際には、それ以上の涙を流した。 時には悔しくて、時には情けなくて、時にはただ涙がとまらない時もあった。
しかし、最後はうれしくて涙があふれた。

私が我究館の門を叩いたのは、4年の12月に留年を決めた直後。
広告業界に絞って就職活動を始めたが、どうするべきか悩み、わらをもつかむ気持ちだった。
しかし、結局私はわらではなく、多くの大切なものをつかんだ。 参考になればと思い、私がどのように利用したかを話したいと思う。

まず、講義には積極的に参加した。 そして、わかりやすく相手に伝えること、人の話に注意深く耳をかたむけることを学んだ。 ワークシートなどの課題は1週間かけてじっくりやり、講義の間はとにかく集中した。

次に、自主ゼミ。クラスの自主ゼミとアドゼミと呼ばれる広告志望者のゼミの二つに参加した。
前者は週に2回、模擬面接、ワークシートの突っ込みあい、(発表し、参加者全員の質問を受ける)、ディスカッションなどを行った。
後者は、週に1回、自己PR、志望動機などを発表し磨いていくことに力を入れた。
どちらも、その場にいるだけでは意味がないので周到に用意して参加した。

そして、週に1度は受けた模擬面接。
考えている時とすらすら言える気がするが、実際やってみるとそうはいかないので、模擬面接を受け、自分の言葉で相手の質問に対してまっすぐに的確に答える練習をした。 私は、面接後に何度も自分のテープを見返しては、反省点を書き出し、家に帰って何度も練習した。

講義、自主ゼミ、模擬面接、とにかく容赦なく直した方がいいところを指摘され、いつも落ち込んだ。
しかし、泣きながら這い上がったからこそ、徹底的に自分に向き合うことができたのだと思う。

これを読んだ人は、なんてつらそうと思うかもしれない。 しかし、私はたくさん泣いたが、それ以上にたくさん笑った。
なぜなら、我究館を通じて、最高の仲間に出会えたからだ。 自分に徹底的に向き合う、人に出会い多くのものを得る、それができるのが我究館。

みなさんにも是非頑張ってほしいと思う。

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僕は確実にテンパっていた。でもそれが、なんだかとても気持ちよかった。
Jくん(早稲田大学法学部)  不動産会社内定

貴方は「テンパる」という言葉をご存知だろうか?それは簡単に言うと、「もうどうしようもない状況にまで追い詰められる」ということだ。

僕は大学生活を、常に「どーにかなるだろう」というノリで生きて来た。貧乏旅行をしたり、女の子と戯れたり、飲み会をしたり、バイトしたり。(・・・それなりに楽しくやってきたし、そこそこネタのストックもあった。)だから、就職活動ではそれらをうまく武勇伝に仕立てて、そこに我究館のエッセンスを入れてもらえば、結構アツい会社にだってこれはもう、いけるんじゃないか。という打算があった。

で、我究館の門を叩いた。「飛んで火にいる夏の虫」だった。筆舌に尽くしがたい否定の連続だった。(別に殴られたりした訳じゃないよ。念のため。)

それまでの学生生活において、テンパリ回数はほぼゼロに近かった。だが、いざ「壇上」に上がってみて、うまい表現じゃないけど、はじめて自分のヤバさに気付く。まさに「井の中の蛙」状態だった。テンパリの回数はうなぎのぼりとなった。でもそれは、自分のせいだとも思うようにした。

そんな中で、マゾ?にもなってしまった。
我究館でエントリーシートと格闘していたら、いつのまにか二泊三日していたこともあった。鏡を見るとクマが出来、不精ひげも生え、鼻毛は束で見えていた。その時の僕は確実にテンパっていた。でもそれがなんだかとても気持ちよかった。

本気で物事に取り組むのは、本当にテンパるからメチャメチャつらいし、でも、それと同じくらい、いやそれ以上にメチャメチャ楽しかった。かつてない密度で日々が過ぎていった。そして第一志望群にある会社の最終面接までたどりついた。「これでこの会社に内定できなかったらマジテンパるなぁ」でも落ちたよ。これでほんとうにテンパった。

某広告会社内定の僕の友達のWさんは何10リットルの涙を流したと言ったけれど、僕はそれからも、何10センチも鼻毛を伸ばした。最終面接に落ちてからが本当のテンパリだった。僕はかつてなく本気で頑張った。そしてついに、内定が、出た。テンパリの流れの中に、引っかかって来てくれた、という感じだった。しかも幸運なことに、そこは自分の志望する会社だった。

僕がテンパることで得たものは、非常に多い。それに、本当に面白いやつらと出会えたことがとても誇りに思えている。ちょっと青くさいけど。

今は早く社会で自分の力を試したくてワクワクしている。偉そうになるつもりはないけど、何も知らなかった以前の僕の、漠然とした自信と、テンパリを通り越した今の僕とは、やっぱり何か、どこか違って、それがいい方向に僕を運び、僕を強くしたと思う。だから皆さんも、ひとつテンパってみて下さい。そして気合で、もひとつ自分を伸ばしてやりませんか。

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誰のものでもない自分だけの人生を一番充実して過ごす方法
Tくん(明治大学経営学部)  人材教育会社内定

大学2年の中頃から漠然とそう考えていた私は、三年になると大学のマスコミ研究室に入室した。
何度も新聞記者の筆記対策を繰り返し、OB訪問も数をこなした。
他の学生より自分のほうが就職においては一歩先を行っているという妙な自信もあった。

けれども、そのような就職対策に追われているうちに、自分がなぜ新聞記者になりたいのかという一番大切な部分がわからなくなってしまっていた。 そんな心境の時に、杉村太郎さんの講演会を聞いて我究館の存在を知った。

「夢や志について、真剣に語り合える仲間とともに、もう一度自分自身を見つめなおしたい」 そんな大風呂敷を広げて、我究館の門を叩いた。

しかし、文字で書くとカッコいいが「夢や志について真剣に語り合う」作業は、想像以上に辛く、苦しいものであった。
本音に気づくことができずに、キレイゴトばかり並びたてていた最初は、何度も何度も、自分の考えをコーチの方や仲間たちに否定された。
今まで築きあげてきた自信がガラガラと音を立てて崩れていくことも少なくなかった。

けれども、この作業を決して辞めようとは思わなかった。
少しずつではあるが、自分の本音に近づいていく実感みたいなものはあったし、何より我究館の仲間と共に語り合うのは楽しかった。

そして、自分の本音にようやく気づきはじめた頃、その本音をある会社にそのままぶつけてみた。
新聞社に行かなかったことをまったく後悔していない。内定した会社が今の自分の志を実現するうえで最高の舞台だと確信している。

大切なのは、自分の本音に気づくこと。なぜならそれが、誰のものでもない自分だけの人生を一番充実して過ごす方法だから。

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我究館で得たものは、「自分の人生これでいいのか」と追求する姿勢
Tくん(青山学院大学大学院国政政治経済学専攻)  証券会社内定

『入館前』

私と我究館との出会いは大学3年の時に絶対内定を読んだ事に始まる。 その頃は我究館を単なる内定獲得の為のスクールとしか捉えていなかった。
たかが就職活動くらい他人とつるんでやらなくてもいいではないか、そう考え我究館に足を運ぶ事はなかった。

そして思うところがあって大学院に進学した。 修士1年の12月、再び就職活動を迎え嫌でも自分の将来について考える。
そのとき絶対内定を読み返したところ「俺の人生はこれでいいのだろうか、本当はどうしたいのだろうか」という思いに駆られ一度真剣に自分と向き合い、他人と語り合いたくなった。 自分ひとりで考えていては浅はかなものになると思った、限界があると思った。
人生は言ってみれば他人とのtransactionであるから他人の目でビシビシ批判される事で見えて来るものがあると思ったのだ。

「我究館ってどんな事をやっているんだろう」
冷やかしの気持ちも多少持ちつつ説明会に乗り込んだ。 エネルギーがあった、面白そうだった。
確かに今までに味わったことのない空気。そう思い実際に通うことにした。

『入館後』
講義や自主ゼミを通し我究を重ねていくうちに、他人から見たら大勘違い状態と思われるほどの大きな夢を描いてしまった自分に気付いた。
ヒトに言うのはちょっと恥ずかしい、でも世の中になんか遠慮する事ない。
しかし、内定を幾つかもらい就活も終盤に差し掛かったときから本当の我究が始まったのかもしれない。

内定獲得に飽き足りず、更なる我究を重ね本当に俺の人生をどうしたいのかを自分に問うた。
スタッフや仲間と語り合ううちに「自分の人生これでいいのか」を追求する姿勢が身に付いていたのだ。
これが我究館の威力であり、我究館が就職予備校に留まらない所以である。

『使用上の注意』
我究館を思う存分活用しようと思えば、与えられるのを待っていては駄目だ。 コーチやOB・OGをとことんこき使ってやるのだ。
そして仲間に対し何ができるかを考える事だ。
自分を磨きたい!真の男・女として自立して生きたい!そう思った瞬間から人に与えてもらおうと思うのを止めなければいけない。
あのA.猪木もこう言っているではないか「人は与えてもらおうと思った時から年老いていくものだと思います」。

『付記』
私自身が我究館に来て変わったと思う事、100個ある具体例の中から1つ挙げるとすれば、自分で言うのもおこがましいが「謙虚」になれた事ではないだろうか。 謙虚になって周囲から学び、自分の夢を本当に実現するのだという覚悟が出来た事である。

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自分では気付けなかった多くの視点を与えてくれた
Hさん(日本女子大学文学部)  百貨店総合職内定

我究館に来る前、私は航空業界、グランドホステスを目指していた。
大学生活はバスケット、アルバイトに熱中していたので、三年の秋に行われた就職ガイダンスを皮切りに焦りを感じ始めた。
航空スクールの体験入学にも参加してみたが、いまいちピンとくるものもなく、私には単なるマナー講座にしか見えなかった。
そんな時に読んだのが「絶対内定」だった。 今の自分に必要なのは外面を磨くことでなく、まず自分を知ることだ。 そんな思いで我究館に来た。

2月:どうしてもグランドホステスになりたいと思いながら入館面談を受けた。
そこで我究館スタッフの方が言ったことは「じゃぁ、もし君が明日からグランドホステスやれるとしたらどんなキャパシティを持って働く?」という言葉で私は言葉がでなかった。

私が我究館で特に利用したことは大きく分けて3つある。

(1)もちろん我究(定例講義、自主ゼミ)、(2)OB講演会、(3)Tゼミ(徹夜ゼミ)
一つ目、我究。 内定=ゴールじゃないんだと目覚めた私は我究を重ねた。
自主ゼミという様々な人達がいる中で我究をすることによって、客観的に自分を見つめなおすことができただけでなく、周りの人達への意識、両親への意識、社会への意識までも変わった気がする。
またとても人見知りしがちで、コミュニケーション下手な自分を克服する場としても自主ゼミはとても価値があった。

二つ目。OB講演会。それまでは興味のなかった業界のセミナーにも参加した。
いろいろな業界で活躍しているOBの方々のお話を聞くことによって、如何に自分が踊らされていたかを身にしみて感じた。
参加していくうちに、業界間の結びつきなども分かり、広い視野に立って業界を見渡すことができた。
OB講演会は航空業界から百貨店業界へと変わっていくきっかけのひとつにもなった。

三つ目。Tゼミ(徹夜ゼミ)。 Tゼミは私にとって一番のプレッシャーの場だった。
3月中旬:ここまできて私には変な自信があった。 というもの我究をし、OB訪問を重ね、業界本も何冊も読んだ頃だった。
ある日、私はTゼミの中で百貨店業界を熱く語った。 しかし我究館スタッフの方々には伝わっていない様子だった。
その時言われたことは「そんなに百貨店って言うけどどのくらい見てきたの?」だ。 模擬面接で伝わらなかったのも、それもそのはず。
私は自分から自分の視点で百貨店を見ることをしていなかった。 翌日から百貨店、ライバル店を回りに回った。
流通雑誌の一年分の資料を見て、自分の視点でそれらを読み、改善案を考えた。 自分の無知さを認めて、とにかく突っ走った。

4月:この時期になるとエントリーシートの締め切り。 会社説明会のラッシュで自分の時間がとられ心が弱っていた。
この時、コーチの方に「自分が楽しいと思える時間を作ろうよ」と言われた。
限られた時間の合間を縫って大好きな映画や買い物、カラオケ、また再び部活に参加したり、なつかしの友人にコンタクトをとってみたりと「幸せだー!!」と思える時間を過ごした。 今思えば実はこの時間が重要だった。 この時間がなかったら完全に就職活動にとりつかれていたと思う。

5月:本番を迎えた。面接は本当に楽しかったが、面接後はライブノートを書いて、自主ゼミの中でクラスの人の意見をもらった。
その後、本命の会社から内定を頂いた。
私は運良く早々と本命企業から内定を頂いたので、就職活動の苦しさはほとんど分かってないかもしれないが、内定の電話を受けて心の底から嬉しかった。 他人に勝ったという嬉しさではなく、ありのままの自分で勝負できたことが、何よりも嬉しく、そして自信にもなった。

就職活動を終えた今、社会に出ることにワクワクしている(決して楽しいことばかりではない日々だろうが)。
何故なら我究館に来て自分を知り、自分の生き方を見つけて、自分を好きになれたから。 それと今は誰にも譲れない夢があるから。
その2つを信じて、まわりに流されず、自分に負けない志を持って、来春から新しい一歩を踏み出していこうと思っている。

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「できるだけのことはやった」という達成感が自信に
Oくん(中央大学法学部)   情報通信会社内定

人生における何度目かの転機。その転機で妥協はしたくなかった。

一年目の就職活動は決定力不足だった。 自分に何ができるのか? 自分は何がしたいのか?
それらを面接という特殊な空間でいかに相手に伝えればいいのか。 いま思えば、そのすべてが曖昧なままだったような気がする。

二年目の活動をするにあたり、我究館の門をたたいた。
そこで真のビジョン、本当の夢を求め、徹夜で仲間たちと語り合い、週に一度の自主ゼミも欠かさなかった。
また生来の内向的な性格だったからこそ、アルバイトを変えて簡単な「営業」も経験。
就職活動が間近になると模擬面接で泣かされそうなほどに厳しい突っ込み・・・。
そんなペースメーカーとして我究館を利用しながら一年間を自分なりに有意義に過ごせた。
その中で全てを経験し、全てに立ち向かったとは思えないけど、「できるだけのことはやった」という達成感が自信となった。

二年目の結果も正直、内定を取りまくったわけではない。 一次面接でさっくり敗退、あるいは最終面接であっさり落とされることも多かった。
でも、自分が本当に成し遂げたい夢が僕を支えてくれた。 結果、第一志望のIT企業に(なんとか)内定。

社会という大海の門前で、恥も外聞も投げ捨てて本気で本音でぶつかり合った仲間たち。 4月からは彼らもそれぞれの自分のフィールドで歩き出す。
また、海外留学や芸能活動など就職以外の道を選び、実際にもう歩き出している仲間もいる。
でも、5年後、10年後でも彼らとの友情だけは、ずっと続くような気がする。

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二度目の転機を支えてくれたのも、我究館の仲間たちだった
Sくん(中央大学経済学部卒業)  総合商社退職後、アメリカにて起業準備中

中学生の頃から憧れていた総合商社に入ってあっという間に6年間がたった。当然世の中のウケはいい。正直、女性のウケもいい。ただ、10年後、20年後、ここにいていいのかという気持ちがあった。MBAも考えた。転職も考えた。悩みに悩んだ。

滅多に悩まないが、人生上で悩んだとき、相談するのはいつでも就職活動をしたときの我究館の仲間。もう一生付き合うことになるんだろう。彼らのいいところは、例えしばらく話していなくても、最近どう?という会話抜きにいきなり本題から話せる信頼関係があるところ。そして、世の中の流れをきちんと把握したうえでアドバイスできるビジネスパーソンであるところ。

彼らと話し、自分の将来に確信が持てた。起業しかない。

今までの人生で起業は考えたことが無かった。親戚で企業家がいて、その苦しさを嫌と言うほどみてきたからだ。でも、決めた。そして、縁あって、アメリカで起業することになった。

ここサンフランシスコに来て2週間。2ヵ月後の会社設立に向けて夢の中でも仕事を考える毎日。いつか我究館の仲間とドリームチームをつくって仕事をしたい。そのためにも、今の仕事を絶対に成功させなければ。アメリカで起業して、アメリカで上場して、多くの影響を世の中に与えるためにも。

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今の自分を支えているのは、自ら描いた理想と、我究館で出会った仲間の存在
Mさん(慶応義塾大学文学部) キャビンアテンダントからケーブルテレビ制作職へ、そしてスポーツ新聞記者に転職

毎日が、確認作業の連続だ。
今日の自分はどうだったか、明日に向けて反省することは何か、そして、自分の目標は何だったのか。何のために働いているのか。自問自答を繰り返す。

毎日の予定が事件やニュースで決まっていく。次の休みがいつかもわからない。 そんな不条理極まりない記者という仕事を選んだ以上、 この確認作業をしないと、どんどん流されていってしまう。

理想があるから、毎日落ち込む。 描いた理想と、現実の姿のギャップの大きさに愕然とするなんて、しょっちゅうだ。

でも、それは自分の人生を真剣に生きているからだと思えるようになった。 私は、自由になるために働いている。 時間やお金や行動や空想の限界や、 そんな、制約から解放された人生を送ってみたい。 ある程度の社会的な認知を得て、 自分の名前や発言で、自分が善と思える社会に向けて、針路を提示してみたい。

今の自分を支えているのは、自ら描いた理想と、もうひとつ。 我究で出会った仲間たちと月に数回、向き合うとき、恥ずかしくない自分でいたいから。 彼らの存在が、自分の勇気の源泉だから。 そんな関係を、ずっと持ち続けていたいから。

学生時代、自分のことが一番わからなくて、 「好きなものは好き、やりたいものはやりたい。なんで理由がいるんだ?」って 毎日毎晩ジタバタした。 自分だけがトンネルから抜けられないような気がして、 すごく怖かった。取り残された気がした。 結論は、やりたいようにやってみよう。
キャビンアテンダントをやった。レポーターもやった。そして今は、記者だ。

自分に起こることは、すべて必然。 「すべてはうまくいっている」。 その座右の銘を胸に、今日も現場に向かっている。

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学生のときに増してパワフルな我究館の仲間に、負けていられない。
Kくん(上智大学大学院理工学研究科)  広告会社勤務

いま、仕事が楽しい。

徹夜はつらいけど、自分の仕事が広告となって世の中に出ると、その歓びは中毒になってしまう。 これまでには仕事がつまらなくなった時もあった。 それは同じことの繰り返しをしているときだ。 仕事の時間は今よりも短かったのに、疲れきっていた。
俺は仕事をまわすより、新しい仕事をつくりあげるほうが好きなんだと改めて確信している。

そしていま、3年目になってだんだん仕事も任されるようになってきた。 自分の企画も通るようになってきた。新しいステージに入ったのだと思う。

P.S. 我究館卒業生の同期(社会人3年目)もちょうどそんなタイミングのようだ。
就職後もよく飲みに行ったり渋谷へナンパしに行ったりするが、ヤツらは学生のときに増してパワフルだ。 俺も負けてられない。

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全力疾走
Kくん(国士舘大学体育学部卒業)  人材サービス会社内定

とにかく4年間は全力疾走だ。1998年3月。二度目となる大学生活に向けて、自分に言い聞かせた。社会へ飛びだすその瞬間には、自信もってギラギラと眩しいヤツでいたかったから。

その大学再入学の丁度一年前、僕は挫折感たっぷりで大学生活をスタートした。大学での勉強や、仲間や、サークルの話で盛り上がる同級生達。眩しかった。
楽しいけれど、何か満たされないでいた。そんな時、書店で手にした「絶対内定」。魂がこぼれそうなくらい熱い(厚い)本だった。ココに書かれている学生は半端じゃない。(キリマンジャロ登頂?30カ国の放浪?大学時代に起業?)なんて学生だ!と驚き半分。何より、全力で生きている日々が気持ち良さそうだ。彼らに負けない4年間を過ごそう。今、再スタートすれば4年(社会人まで)もある。リベンジできそうだ。自信に根拠はないが、入館する時には我究館の仲間に引け目を感じずにいたい。だから、「新しい大学で成績トップを取ろう。とにかく4年間は全力疾走だ」と決めていた。

1年生の秋。入館するのが待ちきれなくなってきた。バイトも勉強も遊びも全力で取り組んできたことで、自信も徐々に復活してきた。早く試したかった。コーチ陣や先輩にも、早くぶつかってみたい。そんな衝動から、勝手に説明会を申込んで訪問した。
「3年の夏に入館する時には同期よりも突き抜けていたいから、先に見学にきました」と話した。
「じゃあ、今から来い。ダントツなヤツになりたいんだろ?本気なんだろ?」

それからの日々は、22年の人生でもっとも刺激的で成長感に溢れた時間だった。朝まで本気で語れる仲間。東京から京都まで520キロ超の駅伝大会を一緒に企画した仲間。人生で一度くらい世界の頂点に立ちたい!そんな話が盛り上がってアフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ登頂しに行った一生の親友との出逢い。

自己分析も大事、志望動機を練るのも大事。だけど、自分が挑戦したい(やりたい)ことに夢中で取り組む事は最も大事。いつからだって、スタートはできる。
ただ、本音を言えば時間は有限だ。アクセルを踏み込むなら早ければ早いほどいい。気持ちよすぎて「時間はいくらあっても足らない」ってきっと思うから。

就職先も自分がどんな仕事・会社よりも「全力疾走」できるR社を選んだ。1年生からの我究の成果として、ビジョンは明確になっていた。それだけでなく、就職活動 に際しては、いわゆる能力的なものに関しても他の学生に負けるわけはないと密かに思っていた。結果、僕の大学からは約十年ぶりというR社への内定が出た。

入社2年目の今年3月。ナゴヤドームで開催する就・転職イベントのディレクターとなる。企画・運営から広告宣伝、トラブル処理までまさに全力疾走の二ヵ月だった。
結果、来場者12,929人。出展企業は297社。目標どおり、東海地区最大規模のイベントとなった。

全力疾走モはやっぱり最高に気持ちがいい。でも同時に、これで満足してたまるか、とも言い聞かせている。

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